飽きもせずスピーカーセッティングを微修正して、システム(部屋を含む)から好きな音が鳴るように動き回っている。
音場の歪みを少なくしたいので、センターパネルを少し引っ込めてセンター音の張り出しを抑え、挙句は「AXIOM22」のスタンドの前部開口部を塞いでしまった。(笑)
好きな女性ボーカルアルバム↑を聴きながら、「何てよい音だ」などと思ってしまう。
それどころか、少し前の記事で「上がりに近いか」などと書いてしまった。
だが待てよ。
「よい音」の『よい』って、「良い」と「好い」のどちらの『よい』のつもりで呟いたんだろうと考えてしまった。
仮に、「好い」=主観に基づく好みの音とし、「良い」=個々の主観を超えた優秀な音としてみると、「良い」の基準が曖昧だ。
優秀とは特性だけでないことは先人も述べており、経験が少ない小生もそうだと考えるが、何か客観的な基準がないものだろうか。。
暴論だが、大方の人が「好い」と表明したら「良い」としたらどうであろうか。
尤も、その場合も大方の人とは何だということになって、曖昧さ一杯の基準だろうなあ。(笑)
さて、オーディオを趣味とする者の多くは、音楽だけでなく音を聴いて好悪のみならず良否を云々することが多い。
この趣味は専ら主観・感覚に基づくので、自分のシステムの音ならどんなことを書いても喋っても良いと思うし、自己マンが皆無の方はよほどの人だろう。
但し、こと他人様の音となると、相当親しくならない限り迂闊に云う訳にはいかない。
本日の記事は、井の中の蛙たる小生は、自分の世界のこと以外の「良否」は極めて慎重に云う必要があるという自戒でした。(自爆)